物体が光に近い速度で運動すると、時間が遅くなり、物体が縮む、とは本当なのだろうか。
だが現実は、光に近い速さで物質が運動する事など仮定すら無理である。
それはなぜか。
物質は空間の重力を抵抗として受けるので不可能である。
ロケットがエンジン噴射すると前進出来ると言う事は、ロケットの後方に作用反作用の対象となるものが有るという事だ。
普通に考えれば、宇宙空間は真空であるので、重力と言うことになるだろう。
厳密に言うと宇宙空間には地球の重力渦、太陽の重力渦、銀河の重力渦がある。
ロケット質量に見合った重力渦がロケット周囲にまとわりついている。
過去記事の渦で一端が分かると思う。
このロケット推進を説明すると長い話になるので、今後の機会に。
一方、光は量子区分された重力場を湿潤するが如く、連続的流体として拡散する。
物質は重力抵抗を受けるが、熱エネルギーである光は重力場に乗るのである。
これを同一の理論で論じるのは、筋立ての悪い数学パズルではないのか。
昔のレコード盤を思い起こして頂きたい。
レコードプレーヤーの回転を宇宙の時間、レコード基盤を場である重力、盤に刻まれた溝を熱とする。
回転軸が回らなければ始まらないし、速度の一定が保証されなければレコードプレーヤーとは言わない。
次にレコード基盤が無ければ、レコードの存在は成立しない、いわゆるこれが場の基本論理である。
盤に刻まれた溝にレコード針と言う力学的作用を与えれば、音と言う振動エネルギーが発生する。
そして、その音の善し悪しの判断は人間の主観がどうしても入る。
しかしながら、プレーヤーの回転速度、音源としてのレコード盤は厳然たる物理法則で決まるのだ。
その性能の善し悪しは客観性だけで決まるのだ。
それが、物理の物理たる所以だ。
我々の宇宙は、時間と、場と力である重力、熱の塊である物質とそのエネルギーである熱で出来ている。
時間、重力、熱、の由来は宇宙外のものである。
この三者は宇宙を離れて、宇宙外から客観視しなければならないし、絶対的なものだ。
これが、宇宙を創ったのだから。
煎じ詰めれば、光はこの三者により生成されたものだ。
光は環境に左右されやすく、主観も入る余地があり、基準とする場合は細心の注意が必要だ。
特に基本中の基本である時間を変える事が許されるとすれば、もはやこれは物理とは呼べない。
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